9月11日、大阪にてティム・クリステンセンのジャパン・ツアーが幕を開けた。
彼がフロントマンを務めるディジー・ミズ・リジーは、昨年9月に現時点での最新作にあたる『オルター・エコー』に伴うツアーの一環で来日しており、その際の各公演は多くの人たちにより2023年度のベスト・ライヴのひとつに挙げられるほど素晴らしい内容だったが、それからちょうど1年を経て実現を経たソロ名義での今回の公演には、その際とはひと味もふた味も違った感動があった。
今回の公演は、2003年に発表された彼自身のソロ第2作、『ハニーバースト』の発売20周年を記念してのもの。当時、この作品は彼の母国であるデンマークのアルバム・チャートにおいて2週連続で1位に輝き、13万枚を超えるセールスを記録している。同国の人口が600万人に満たない事実を踏まえれば(つまり国全体でも東京都の人口の半分に及ばない)、この数字がいかに驚異的なものであるかがわかるだろう。この作品をテーマに据えたデンマーク国内でのツアーも昨年実施され、大好評を博しているが、今回はそれがここ日本で実現に至ったというわけである。
この夜、ツアー初日の会場となった梅田クラブクアトロには熱心なファンが集結。開演定刻の午後7時に場内が暗転すると、すぐさま拍手と手拍子が自然発生していた。それからの約100分間は、まさしく音楽的な幸福感に満ち溢れた至福のひとときとなった。具体的な演奏曲目について、この場に書き記すことは控えておく。というのも、『ハニーバースト』の収録曲がふんだんに盛り込まれた演奏メニューが組まれることは誰もが想定していたはずであり、改めてこの場に曲名を列挙することは無意味だと思えるからだ。
しかも実際の演奏内容は、そうした想定をも超越したものだった。なんと『ハニーバースト』に収められていた全曲が、収録順通りに完全再現されたのである。ある意味それは“お約束”通りの展開ともいえるし、同作に愛着を持つ来場者たちには、序盤のうちにそれが読み切れてしまったかもしれない。ただ、それが興奮を半減させることはない。「次はあの曲が来るはずだ」と想像できていても、次から次へと楽曲が披露されるたびに高揚感は高まり続けていく。魅力的な楽曲ばかりが機能的に配置されたアルバムの曲順は、そのまま極上のセットリストになり得るのだということが、改めてその場で証明されていた。
しかもそこでショウが終わることはなく、ソロ・デビュー作にあたる『シークレッツ・オン・パレード』(2000年)や『スペリアー』(2008年)からの楽曲群がそれに続いた。まさに『ハニーバースト』をメインディッシュとしながらのフルコースである。しかも同作の完全再現が軸になっているとはいえ、インプロヴィゼーションにも富んだその演奏ぶりは、淡々としているようでありながら熱量の高いもので、演奏が続いていくにしたがって音量がどんどん上がっているのではないかと錯覚をおぼえるほどだった。
今回、ティムのまわりを固めているのは、彼のソロ・キャリアにおける長年のパートナーであるラース・スキャルベック(g)、昨年のディジー・ミズ・リジー来日公演にもサポート・ミュージシャンとして同行していたアナス・スティ・ムラー(key)をはじめとする、彼と強い信頼関係で結ばれたメンバーたち。昨今では、演奏がコンピュータにより支配されているかのようなライヴがロックの領域においてもまったくめずらしくなくなっているが、技術力の高い演奏家たちが各楽器本来の響きを大切しながら、楽器同士に会話させていくさまは見事というしかなかった。そうしたものに興奮を見出すことができるのも、音楽ファンの特権であるはずだ。
加えて、ティム自身の穏やかでありながらも芯のある歌声はいっそう説得力を増していたし、曲に応じてアコースティックとエレクトリックを弾き分けるギタリストとしての手腕についても、同様のことを感じさせられた。十代の頃から音楽活動に身を置いてきた彼は、去る7月で50歳になっているが、まさに音楽家として脂の乗り切った充実期にあることがうかがえる。
このツアーはこれから舞台を名古屋、川崎へと移しながら続いていく。『ハニーバースト』という作品を愛してきた人ほど深い楽しみを味わえるはずだが、このライヴがもたらす独特の高揚感と幸福感は、同作にまだ触れたことのない人たちにも間違いなく伝わるに違いないし、これを切っ掛けに改めて21年前に生まれた名盤の世界を探訪してみるのも一興ではないだろうか。心が疲れていると、誰かから不意にやさしい言葉を掛けられただけで涙があふれてくることが人にはあるものだと思う。この夜のライヴには、まさにそんなさりげない感動があった。しかも繊細なばかりではなく大胆な力強さ、ロック・バンドのライヴには不可欠であるはずのダイナミックスが感じられた。ヴィンテージの味わいと、モダンな感触とを同時に楽しむことができた。そうした至福のひとときを堪能できる好機を、あなたにも絶対に逸して欲しくない。
Text: 増田勇一
Live Photo: Yuki Kuroyanagi